氏(うじ)・姓(かばね)・苗字(みょうじ)の歴史と夫婦の氏をめぐる法制度の変遷

氏・姓・苗字 政治問題

「氏(うじ)」「姓(かばね)」「苗字(みょうじ)」の概念

日本の歴史において「氏(うじ)」「姓(かばね)」「苗字(みょうじ)」の概念は時代ごとに変化し、それにともない婚姻時の氏の扱いも変遷を遂げてきた。現代の選択的夫婦別姓議論を理解する上でも、これらの歴史的経緯を正確に把握することが重要である。

氏・姓・苗字の定義と変遷

古代から近世にかけた日本の身分呼称体制は、血統や格付け、居住地などが複雑に絡み合ったものであった。それぞれの定義と具体的な例は以下のとおりである。

  • 氏(うじ):古代の血縁的な豪族集団を指す名称であり、中世以降は源・平・藤原・橘などの「本姓(ほんせい)」として理解されることが多い。
    • 例: 源(みなもと)、平(たいら)、藤原(ふじわら)、橘(たちばな)(これらは「四姓」と呼ばれる)、豊臣(とよとみ)、菅原(すがわら)、大中臣(おおなかとみ)、物部(もののべ)、蘇我(そが)、中臣(なかとみ)、毛野(けぬ)、阿部(あべ)
  • 姓(かばね):朝廷から特定の家系や職能、政治的・身分的な格付けに対して与えられた称号。天武天皇(てんむてんのう)の時代に「八色の姓(やくさのかばね)」として再編され、のちに上位の「朝臣(あそん)」などに集約されていった。
    • 例: 真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)、公(きみ)、直(あたい)、造(みやつこ)、首(おびと)
  • 苗字(みょうじ):一族が本拠とした地名(領地)や屋号、職名などに由来し、同じ「氏」の中でさらに家系を区別するために自称・発展した呼称。
    • 例: 徳川(とくがわ)、羽柴(はしば)、足利(あしかが)、織田(おだ)、武田(たけだ)、近衛(このえ)、九条(くじょう)、佐藤(さとう)、加藤(かとう)、毛利(もうり)、伊達(だて)、島津(しまづ)、上杉(うえすぎ)、北条(ほうじょう)、長宗我部(ちょうそかべ)(佐藤や加藤は「藤原氏」から、島津は「惟宗氏(これむねし)」から派生した苗字)

近代国家への脱皮を図る明治政府は、複雑化した呼称を整理して国民を管理するため、明治4年(1871年)に太政官布告(だじょうかんふこく)第534号(公用文書ニ姓尸(せいし)ヲ除キ苗字実名ノミヲ用フ)を発令した。
これにより、公的な文書や戸籍などの「公称」から旧来の「姓(かばね)」や「本姓としての氏」を指す「姓尸(せいし)」を排除し、個々の「苗字」と「実名(じつめい)」のみを公称として一元化する基礎が作られた。

3つの概念の比較一覧表

区分氏(うじ) / 本姓姓(かばね)苗字(みょうじ)
根拠出自・血統のつながり朝廷(天皇)からの格付け領地(地名)や屋号、職名
主な役割同じ祖先を持つ一族の証明政治的地位や身分の表明同じ「氏」の中で家系を区別する
性質天皇から与えられ、不変天皇から与えられ、不変移住や分家で自由に自称・変更可能
具体例源、平、藤原、橘、豊臣、菅原朝臣、宿禰、真人、連、臣徳川、足利、武田、織田、羽柴
明治4年以降公式名(公称)から排除公式名(公称)から排除「氏(うじ)」として法律上統一

全てがつながった名前(フルネーム)の例

明治以前の武士や貴族の公式な場における姓名は、これら「苗字」「氏」「姓」「名(実名/忌み名)」をすべて繋げ、さらに「の」という接続詞を挟んで発音していた。以下に代表的な歴史上の人物の例を時系列順(生年順)に提示する。

明治以前(古代〜幕末)の例

  • 例1:平清盛(たいらのきよもり) の場合(苗字を持たない例:1118年生)※地名に基づく「苗字」が広く定着する前の時代や、苗字で分家する必要のない本家筋の場合は、苗字が存在しない。
    • 正式名: 平 朝臣 清盛 (たいら の あそん きよもり)
    • 【 氏 】平
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】清盛
  • 例2:足利尊氏(あしかがたかうじ) の場合(1305年生)
    • 正式名: 足利 源 朝臣 尊氏 (あしかが の みなもと の あそん たかうじ)
    • 【苗字】足利(下野国(しもつけのくに)足利荘(あしかがのしょう)に由来)
    • 【 氏 】源(清和源氏義家流(せいわげんじよしいえりゅう)の血統)
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】尊氏
  • 例3:武田信玄(晴信) の場合(1521年生)
    • 正式名: 武田 源 朝臣 晴信 (たけだ の みなもと の あそん はるのぶ)
    • 【苗字】武田(常陸国那珂郡武田郷を発祥とする説が定説として支持されており、祖先の源義清が同地で武田を称した後、甲斐国へ配流されて同国武田郷(現・韮崎市)などで武田氏を再興・定着させたことに由来する)
    • 【 氏 】源(甲斐源氏の血統)
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】晴信
  • 例4:織田信長(おだのぶなが) の場合(1534年生)
    • 正式名: 織田 平 朝臣 信長 (おだ の たいら の あそん のぶなが)
    • 【苗字】織田(越前国(えちぜんのくに)織田荘に由来)
    • 【 氏 】平(元亀(げんき)年間以降、公式文書等で自称した血統。青年期には「藤原」も用いた。なお、織田家の発祥・出自については古代の祭祀族である「忌部氏(いんべうじ)」の末裔とする学説もある)
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】信長
  • 例5:豊臣秀吉(羽柴秀吉) の場合(1537年生)
    • 正式名: 羽柴 豊臣 朝臣 秀吉 (はしば の とよとみ の あそん ひでよし)
    • 【苗字】羽柴(織田家の同僚であった柴田勝家と丹羽長秀から一字ずつ取ったもの)
    • 【 氏 】豊臣(朝廷より新たに賜った独立した「氏」)
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】秀吉
  • 例6:徳川家康(とくがわいえやす) の場合(1543年生)
    • 正式名: 徳川 源 朝臣 家康 (とくがわ の みなもと の あそん いえやす)
    • 【苗字】徳川(領地である三河国(みかわのくに)徳川郷に由来)
    • 【 氏 】源(清和源氏の血統を主張)
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】家康

明治初期(新制度移行期)の例

明治4年の太政官布告第534号が発令される直前まで、新政府の公文書や太政官(だじょうかん)の補任(ぶにん)記録等では、まだ旧来のフルネームが公式に用いられていた。新時代への過渡期における著名な人物の構成は以下のとおりである。

  • 例7:西郷隆盛(さいごうたかもり) の場合(1828年生)
    • 公式記録上の名: 西郷 藤原 朝臣 隆盛 (さいごう の ふじわら の あそん たかもり)
    • 【苗字】西郷
    • 【 氏 】藤原(菊池氏の系統を経て藤原氏の後裔を称した血統)
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】隆盛
  • 例8:大久保利通(おおくぼとしみち) の場合(1830年生)
    • 公式記録上の名: 大久保 藤原 朝臣 利通 (おおくぼ の ふじわら の あそん としみち)
    • 【苗字】大久保
    • 【 氏 】藤原
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】利通
  • 例9:木戸孝允(きどたかよし) の場合(1833年生)
    • 公式記録上の名: 木戸 大江 朝臣 孝允 (きど の おおえ の あそん たかよし)
    • 【苗字】木戸(桂から改名)
    • 【 氏 】大江(鎌倉幕府政所別当・大江広元の子孫とされる血統。主君である毛利家と同族)
    • 【 姓 】朝臣
    • 【 実名 】孝允

明治4年の布告以降は、上記の「藤原」「大江」といった旧来の通念における【氏】や、「朝臣」という【姓】が公称から除外され、それぞれ「西郷隆盛」「大久保利通」「木戸孝允」という【苗字】+【名(実名)】の組み合わせのみが公式な姓名となった。

明治初期の用語の混乱と「氏(うじ)」の再定義

ここで、明治初期の法令を読む上で極めて重要な「言葉の意味のすり替わり」について補足する。

明治4年の布告によって、古代以来の「氏・姓(源平藤橘や朝臣など)」は公称から除かれた。これにより、本来は別物だった「苗字」が、唯一の公式なファミリーネーム(家族の呼称)となった。

しかし、その後の明治政府の法令では、新しく公式なものとなった「苗字」のことを、しばしば古い言葉である「氏(うじ)」や「姓(せい)」という文字を使って表現するようになった。つまり、明治4年を境に以下のような変化が起きている。

  • 明治4年以前: 「氏(うじ)」=源や平などの血統(本姓)。「苗字」=徳川や佐藤などの家名。
  • 明治4年以降: 旧来の「氏・姓」は公称から排除。残った「苗字」のことを、法令上で「氏(うじ)」や「姓(せい)」と言い換えて呼ぶようになった。

したがって、これ以降の歴史に登場する「夫婦別氏」や「夫婦同氏」における「氏(うじ)」とは、古代の源平藤橘のことではなく、「新制度における苗字(ファミリーネーム)」を指している。

明治初期の義務化と「夫婦別氏」の原則

明治8年(1875年)2月13日、政府は太政官布告第22号(平民苗字必称義務令)により、それまで公に苗字を名乗ることが制限されていた一般庶民を含む全日本国民に対し、苗字の保持を義務付けた。

この苗字(新制度における「氏」)の義務化にともない、婚姻時の夫婦の氏をどう扱うかが問題となった。翌明治9年(1876年)3月17日の太政官指令(だじょうかんしれい)において、政府は以下のように規定した。

「婦女人ニ嫁スルモ尚所生(しょせい)ノ氏ヲ用ユ可事ただし夫ノ家ヲ相続シタル上ハ夫家ノ氏ヲ称スヘキ事」

ここで使われている「氏」は、前述のとおり苗字のことである。また「所生(しょせい)の氏」とは、「自分が生まれた実家の苗字」を意味する。

つまりこの指令は、当時の法制において「夫婦別氏(妻は結婚しても実家の苗字を名乗り続けること)」が公式な原則であったことを示している。当時の明治政府は、苗字(氏)は個人の血統に由来するものであると考えたため、他家に嫁いでも婚姻によって実家の苗字が変わることはないとする立場をとっていた。ただし、妻が夫の家を相続した場合に限り、夫の家の苗字(氏)を称することとされていた。

なお、この指令における「婦女、人に嫁す」という表現は、当時の法慣習や前後の法整備の流れから、一般的な婚姻関係を対象としたものと解釈されている。

明治民法の制定と「夫婦同氏」への転換

日本において夫婦が同じ氏を名乗ることが初めて法制化されたのは、明治31年(1898年)に施行された旧民法(明治民法)の「家制度」導入時である。

この明治民法において、日本の近代法における「氏(うじ)」という言葉の定義が確定した。ここでは、それまで混用されていた「苗字」「姓」という言葉を完全に廃止し、「氏(うじ)」という法的な用語に統一された。

同法第788条において「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」と規定され、この規定と「戸主(こしゅ)及家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」と定めた第746条の原則(=同じ家に属する者は同じ氏を名乗るというルール)とが組み合わさることにより、婚姻によって夫の家に入った妻は、その家の氏(苗字)を称することとなった。これによって日本の法制史上、初めて「夫婦同氏(原則として夫の氏への統一)」が義務付けられた。

この制度は、個人の尊厳と両性の本質的平等を定めた日本国憲法に基づき、民法が全面的に改正されて1948年(昭和23年)1月1日に施行されるまで続いた。現行民法でも表現は「氏(うじ)」に統一されており、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と改められている。

各国の婚姻史と現代の「選択的夫婦別姓」議論

東アジア諸国、とりわけ朝鮮半島や中国においては、伝統的な儒教観(じゅきょうかん)に基づき「血統(宗族:そうぞく)」を絶対的なものとみなす文化が定着していた。そのため、婚姻によって血の繋がらない他者の姓に変わることはなく、歴史的に一貫して「夫婦別姓」が守られてきた。

大日本帝国統治下の朝鮮半島において1940年2月11日に施行された「創氏改名(そうしかいめい)」は、彼らが持つ血統の「姓」は戸籍に残しつつ、日本式の家制度を管理するために新たな「氏(日本の苗字に相当するもの)」を創設させる政策であった。この際、妻は夫の創設した「氏」に入る形となったため、伝統的な「姓」を重視する文化との違いから、反発や抵抗の動きも生じることとなった。ただ、実際の現地住民の対応には、進んで届け出た者、周囲の状況を見て消極的に従った者、あるいは変更を拒み続けた者など、様々な様相が見られた。

創氏改名の構造と具体的な戸籍の例

創氏改名は「朝鮮の姓を完全に消した」わけではなく、「伝統的な血統を表す『姓』」を戸籍に残したまま、「家族共通のファミリーネームである『氏』」を新設して法的な夫婦同氏を適用する2段階の構造を持っていた。

  • 創氏改名前の夫婦の例
    • 夫: 永煥(キム・ヨンファン)
    • 妻: 順姫(パク・スニ)※伝統的な夫婦別姓
  • 創氏改名後の戸籍(設定した氏が『金光』、名も日本風に変えた場合)
    • 【 氏 】金光(かねみつ)※妻も夫と同じ氏に入り、法的に夫婦同氏となる
    • 夫:金光 勲(かねみつ いさお) / 本姓:
    • 妻:金光 順子(かねみつ よりこ) / 本姓:
    • 子:金光 哲雄(かねみつ てつお) / 本姓:

このように戸籍の奥には【本姓:金】【本姓:朴】として本来の血統(姓および本貫)が記録されていたため、朝鮮の伝統である「同姓同本不婚(同じ血統の者同士は結婚できない)」のルールは維持された。

朝鮮の人々が届け出た「氏」の3つの創設パターン

  • ① 姓をそのまま「氏」にする(法定創氏): 伝統的な一字の姓を、そのまま日本式の氏として使う。
    • 例: 金(きん) → 金(きん)、李(り) → 李(り)
  • ② 一族ゆかりの地名や本貫(発祥地)から作る: 本貫の地名などから二文字の氏を作る。
    • 例: 金海金氏 → 金海(かなうみ)、新安朱氏 → 新安(しんあん)
  • ③ 文字を分解・連想して作る: 元の漢字を分解したり、日本風の響きにアレンジする。
    • 例: 朴 → 新井(あらい)(「朴」の字の木偏と、実を意味する「井」の連想など)、金 → 金光(かねみつ)金子(かねこ)

歴史上の人物の例

  • 例1:洪思翊(こう しよく / ホン・サイク)の場合(陸軍中将)
    • 改名後の名: 洪思翊(こう しよく)
    • 解説: 彼は創氏の際、あえて日本風の氏を新設せず、自分の本来の姓である「洪」をそのまま【氏】として届け出た(パターン①)。下の名前も変えなかったため、字面の上では創氏改名前後で変化していない。
  • 例2:香山光郎(かやま みつろう)の場合(作家・思想家・李光洙)
    • 改名後の名: 香山 光郎(かやま みつろう)
    • 解説: 朝鮮の近代文学を代表する作家・思想家である李光洙(イ・グァンス)は、創氏改名に際して「香山光郎」と名乗った。この「香山」という氏の由来については、彼の故郷である平安北道定州の名山「五香山」にちなむ説や、仏教の聖地から取られたとする説など諸説あり、特定には至っていない。下の名前は「光洙」から、日本風の響きを持つ「光郎」へと改名(許可制)している。

現代の日本で議論されている「選択的夫婦別姓制度」は、法的に婚姻する際、希望する夫婦がそれぞれの婚姻前の氏(苗字)をそのまま保持することを認めるか否かという、制度の「選択肢」に関する議論である。これは苗字そのものの廃止を意味するものではなく、子どもの氏の選択方法(出生時に父母どちらかの氏に統一するなど)を含め、現代の社会生活における利便性や個人のアイデンティティの観点から議論が続けられている。

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