事故概要
三河島事故(みかわしまじこ)は、1962年(昭和37年)5月3日 21:37~21:43に発生した、国鉄 常磐線 三河島駅ホーム東端より東方475m地点で発生した列車脱線多重衝突事故。
国鉄戦後五大事故(桜木町事故 106人死亡・負傷者92人、洞爺丸事故 1430人死亡、紫雲丸事故 166人死亡・負傷者296人、三河島事故 160人死亡・負傷者296人、鶴見事故 161人死亡・負傷者120人)の一つに数えられている。
国鉄戦後五大事故のうち2件は船舶事故で、3件が列車事故である。
列車事故の中で、死亡者数は鶴見事故に次いで2位、死傷者では456人と最も多い事故であった。
事故詳細
1962年(昭和37年)5月3日
21:37、常磐線三河島駅ホーム東端より東方475m地点で、貨物線下りから進行方向右側の下り本線に進入しようとした貨物列車(287貨物列車:蒸気機関車のD51、45両編成)が赤信号を無視し、安全側線に突入し先端の砂利盛りに時速25kmで衝突し、脱線。
これにより先頭の機関車と2両目のタンク車が下り本線上に飛び出した。
貨物列車の機関士は赤信号を誤認したと供述したようであるが、三河島駅付近では、黄色の注意信号(次の信号が停止または警戒という意味)が表示され、三河島駅ホーム東端附近では時速15kmで走行していた。その先の信号機が赤信号であることを理解していたと思われる。下り本線の常磐線が定刻通り出発していれば、この先の信号は青信号に切り換わると予測していたが、下り電車(2117H電車)が定刻より遅れて三河島駅を出発したため、予想が外れ、赤信号のまま走行してしまい事故が発生した可能性がある。蒸気機関車の加速性能が悪いため、できるだけ停車をさけるため、このような予測を行ったとも考えられる。
21:37、下り本線を時速60kmで進行してきた上野発取手行きの下り電車(2117H電車)が下り本線をふさいでいた貨物列車に衝突。先頭車と2両目の車両が脱線し、上り本線上に飛び出した。この時点で、25名が負傷した。この後、上り電車に対して、下り電車運転手、車掌、三河島駅信号掛、三河島駅助役のいずれも迅速に上り電車の停止措置を取ることはできなかった。21:42:15過ぎ、三河島駅岩沼方信号扱所の信号掛兼運転掛より隅田川駅運転掛に直通電話がかかり、「上り線支障」の旨告げられて、隅田川駅運転掛は驚愕し、はじめて2000H上り電車の阻止に気付いたものの、その頃既に上り電車の前頭部が三ノ輪信号扱所前を通過中であり、手遅れだった。
21:43、上野行きの上り電車(2000H電車)が時速75kmで進入し、線路上に降りて移動中だった下り電車(2117H電車)の乗客多数をはねた。上り本線上に停止していた下り電車(2117H電車)先頭車と衝突。これにより下り電車(2117H電車)先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕された。上り電車(2000H電車)は先頭車が原形を留めず粉砕され、2~3両目が5m下の倉庫、民家に転落。
この結果、死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。
再発防止策として、国鉄は、ATS(自動列車停止装置)、列車防護無線(緊急時に列車から無線信号を発信し付近を走行する全列車に停止信号を送信)、常磐線に乗り入れる全列車対象に信号炎管(鉄道用発炎筒の一種)の整備を行った。
1966年(昭和41年)にATSは国鉄全線に整備された。常磐線列車無線は、防護無線と通話用無線機を一基ずつ搭載するもので、1964年(昭和39年)11月から搭載が始まり、1966年(昭和41年)3月から使用が開始された。
その後、国鉄では1986年(昭和61年)11月から防護無線・通話機能を持つ全国統一の「列車無線」が導入され、常磐線列車無線はその役割を終えた。
場所:常磐線三河島駅の東方350m
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田端方面 貨物線下り 車止めあり
>>> 287貨物列車(D51蒸気機関車)>>>■
【1】21:37 赤信号を無視し時速25kmで砂利盛りに入ってしまい先頭機関車と2両目タンク車が本線下りに飛び出して停車。
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日暮里方面 本線下り 松戸方面
>>> 2117H電車(常磐線) >>>
【2】21:37 時速60kmで貨物線下り列車と衝突し、先頭車両と2両目が脱線し、本線上りに飛び出して停車。
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日暮里方面 本線上り 松戸方面
<<< 2000H電車(常磐線)<<<
【3】21:43 時速75kmで常磐線下り列車の乗客を轢き、常磐線下り列車と正面衝突。
本線下り列車の先頭車と2両目前部が粉砕。
本線上り列車の先頭車が粉砕、2~3両目が5m下の倉庫、民家に転落。
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現場付近の地図
現在の現場付近
事故の裁判判決
東京地方裁判所 昭和37年(刑わ)2523号 判決は、以下の内容であった。
貨物列車の信号無視が直接的な原因ではあるが、2117H下り電車、運転手、車掌、信号掛、助役ともに、事故状況の確認や乗客の救助(貨物列車のタンク車が爆発するという声も現場にあり)に注意がいき、上り電車の停止に思いが至らず(上り電車が赤信号になっているはずという思い込みもあり)、過失の競合が発生し、大事故が発生してしまったことが悔やまれる。
【判決】
<貨物列車の信号無視>
国鉄東京鉄道管理局田端機関区機関士 禁錮三年
国鉄東京鉄道管理局田端機関区機関助士兼電気機関助士 禁錮一年二月
<信号炎管等により迅速な上り線停止せず>
国鉄東京鉄道管理局松戸電車区電車運転士(2117H下り) 禁錮一年六月
国鉄東京鉄道管理局上野車掌区車掌(2117H下り) 禁錮一年六月
<適切な連絡により迅速な上り線停止手配せず>
国鉄東京鉄道管理局三河島駅信号掛兼運転掛 禁錮二年
国鉄東京鉄道管理局三河島駅首席担当助役 禁錮一年(執行猶予三年間)
国鉄東京鉄道管理局三河島駅信号掛 禁錮八月(執行猶予二年)
関連記事
参照
三河島事故 – Wikipedia
三河島列車事故|ニュース|NHKアーカイブス
失敗事例 > 常磐線三河島での列車三重衝突
東京消防庁<荒川消防署><三河島列車事故>
130年の歴史のなかで 常磐線は何度か大きな事故、事件の… | Facebook
1962年5月3日
東京地方裁判所 昭和37年(刑わ)2523号 判決 – 大判例
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