三河島事故慰霊碑のある浄土宗 浄正寺

浄土宗 浄正寺 観光

浄土宗 浄正寺(じょうしょうじ)

浄土宗 浄正寺(じょうしょうじ)は、文亀3年(1503)の創建と伝わる。江戸期には、3,500坪の広大な面積を有していた。1449年(文安6年)銘の板碑の他1666年(寛文6年)銘の庚申待供養碑など多くの石仏・石碑が境内にある。
その中に「三河島事故慰霊碑」(三河島事故は1962年(昭和37年)5月3日に発生)がある。台座の上には、観音菩薩像が安置されている。
慰霊碑の裏には、160名の三河島事故物故者氏名が刻まれている。
漫才コンビ「クリトモ一休・三休」(後に第一球・三球と改名)の一休さん(本名:内堀 欽司さん)もこの事故で亡くなっている。
また、1名、身元不明のため、戒名となっている。(左下の位置)
慰霊碑は、事故犠牲者の一周忌の時に建てられたもので、慰霊碑の文字は当時の日本国有鉄道(国鉄) 総裁 十河信二(そごう しんじ)によるものである。十河総裁は、「新幹線の父」とも呼ばれ、1964年10月に開通した東海道新幹線の開通に尽力した人物である。
事故が起きた際は、多くの犠牲者が、浄正寺に運ばれて供養された。
近隣住民が協力し、負傷者や死亡者を家の戸板を外し担架代わりに運ぶなどの助けがあったと言われている。
事故現場に生えていたツツジは今では浄正寺の敷地内に植えられている。

東京都荒川区荒川3丁目53-1
三河島駅から徒歩4分

浄土宗 浄正寺 三河島事故慰霊碑
三河島事故慰霊碑

浄土宗 浄正寺 三河島事故慰霊碑
三河島事故慰霊碑

三河島事故慰霊碑
三河島事故慰霊碑

浄土宗 浄正寺 三河島事故慰霊碑
浄土宗 浄正寺 本堂

文安六年銘の板碑(浄正寺)
文安六年銘の板碑(浄正寺)

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参照
三河島事故 – Wikipedia
三河島列車事故|ニュース|NHKアーカイブス
失敗事例 > 常磐線三河島での列車三重衝突
東京消防庁<荒川消防署><三河島列車事故>
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浄正寺(じょうしょうじ)/荒川区公式サイト

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