家で子どもを育てる専業主婦
我が国では、保育園に子どもを預けて働く親は「立派」とされる一方で、家で子どもを育てる親は、ほとんど評価されない状況があるのではないだろうか。
現実には保育園を利用するたびに、我々の税金が大量に使われている。認可保育園に通う子ども1人あたりの公的支出は、年齢によって差があるが、特に0~2歳児では年間200万円近くの税金が投入されている。
共働きで保育園をフル活用すれば、1人の子どもにつき、年間100〜200万円分の“サービス”を税金で受けていることになる。
では逆に、保育園に頼らず家庭で育児を担っている家庭はどうか。保育園を利用しないで育児している親は、そうした税支出を発生させることなく、自らの時間と労力で社会的な役割を果たしている。いわば、見えない形で国家財政に貢献している存在だ。
にもかかわらず、そうした家庭に対して、感謝も評価も制度的な支援も少ない。子どもを何人産んでも、「自己責任」として黙って家にいるしかない。この構造が続いている。
子育ては「社会のコスト」ではなく「社会への貢献」だ
保育園や育児支援にかかる公費は、年々増加している。自治体は待機児童対策として施設を整備し、保育士の待遇改善にも多額の予算を投じている。もちろん、共働き家庭が働きやすくなるのは大事だ。しかし、この構造の裏側で、一円の税金も使わず、自分の手で子を育てている家庭の存在が、まったく無視されている。
本来なら、そうした家庭には「あなたのおかげで私たちは税金を節約できています」と国が感謝して然るべきである。家庭で育児を担うことは、保育の外注を選ばなかったという選択であり、それ自体が公共サービスの一部を肩代わりしているということだ。
実際、保育園を1人分使わなかっただけで、年間100万円以上、場合によっては200万円近くの税支出を回避している。子どもが3人いれば、数年間で数百万円単位の“財政貢献”があるにもかかわらず、それは「当然のこと」として扱われ、社会からの評価も、制度的な報酬も与えられていない。
これは明らかに不公平な構造だ。
専業主婦が直面する「孤独」と「無評価」
仕事をしている人は、職場での成果が目に見える形で評価される。上司に褒められることもあれば、給与や昇進といった形で報酬も得られる。社会との接点もある。だが、専業主婦にはそのような機会は少ない。
朝から晩まで子どもの世話に追われ、誰にも褒められることなく、感謝もされず、世間からは「何もしていない人」と見なされることまである。
これは、単なる主観の問題ではない。保育園を利用する家庭は「共働きだから大変ですね」「立派ですね」と労われるのに、家庭で育児をしている母親は「どうして働かないのか」と疑問を向けられる。社会の空気が、完全に一方通行になっているのだ。
育児を「自己責任」として背負い込まされる状況は、母親たちに深い孤独感と劣等感を与えている。実際には、自分の手で子どもを育てているということは、社会に対する最も根源的な貢献であるにもかかわらず。
この構造が変わらない限り、少子化は止まらない。国が育児を「公的価値」として再定義しなければ、誰も産もうと思わなくなる。
現行制度にも支援はあるが、「実感しにくい」
もちろん、現行制度にも、児童手当や医療費助成など、子どものいる家庭を対象とした支援はある。なかには、多子世帯に対して第3子以降の手当を加算したり、保育料を軽減する自治体も存在する。
しかし、これらの支援はあくまで「子どもが保育園や学校に通っていること」が前提だったり、所得制限があるなど、専業主婦として家庭で育児を担っている家庭が、直接的な恩恵を感じにくい構造になっているのが実情だ。
本当に必要なのは、保育園に頼らず、自分の手で子どもを育てているという選択そのものを、国が「公共への貢献」として正当に評価する仕組みである。
国がやるべきこと:制度と名誉による再評価
国家が本気で少子化対策をするなら、単なる保育施設の拡充や育児手当の増額だけでは足りない。
専業主婦や自宅育児を選ぶ家庭に対しても、「国家への貢献者」としての名誉と評価を与える制度が必要だ。
たとえば、以下のような制度が考えられる。
- 「育児貢献勲章」の創設
多子出産や長期育児に取り組む母親に対し、国から公式に表彰を行う。園遊会に招待され、天皇陛下と謁見できる機会を設けるなど、社会的な栄誉を示す。 - 「自宅育児手当」制度の導入
保育園を使わずに家庭で育児を行う親に対し、税金で育児サービスを受けている家庭と同等の支援を直接給付する。税支出の削減分を還元するという発想だ。 - 「育児ポイント」制度の導入
育児の年数や子どもの数に応じてポイントを付与し、年金や税控除に反映させる。子育てが社会的貢献として“見える化”される仕組みだ。
こうした制度は単に経済的な支援にとどまらず、「子どもを育てる人を敬う文化」を社会に根付かせることにつながる。
国の未来を支えているのは、家庭で子育てをする人たちだ
少子化が進み、「国の存続」が現実的な問題になっている中で、「子どもを育てる人をどう支えるか」は国家戦略の核心となるべきだ。
身を削り、国の未来を支えているのは、保育園を使わず、自分の手で子どもを育てている家庭である。
そのような親たちは税金を使わず、社会の公共サービスの一部を自ら担っているにもかかわらず、見返りも栄誉も与えられていない。
国は、その存在を正当に認め、名誉と支援を与えなければならない。
子育ては「自己責任」ではなく「国家貢献」である。
この視点を国家の基本価値に据え、制度と文化を作り変えていくことこそが、次世代を支える本当の少子化対策となるはずだ。